2026年4月、この「旅ブログ」を始めましたが、どうしても記しておきたい旅があります。
それは、2023年夏、80歳を超えた母を連れて行った「最後の海外旅行」という親孝行です。
これは、早期リタイア後の僕が実行した極めて大事なイベントであり、このブログの軸である「自由を広げる」にもつながるものです。
亡き父の穴埋めであり僕なりの「ケジメ」
背景には、数年前に他界した父の存在があります。
「生涯現役」を掲げた父は、50代で起業したものの、70代半ばで事業が破綻。自己破産し、周囲に多大な負担をかけました。
ワンマンな父の傍らで、翻弄される人生を送ってきた母。そんな母の唯一の解放は、友人たちとの旅でした。日本各地の温泉から海外まで、友人たちと旅行三昧ができたのです。
しかし、コロナ禍がその時間を奪い、父の他界を経て、80代になった母からはかつての旅行への意欲はありません。それでもテレビで世界遺産が映ると、自分の体験談を話し、「でも海外はもう無理ね」と力なく笑うのでした。
父が決して果たすこともしなかった「母への労い」を、「最後の海外旅行」という親孝行で引き受けることを決めました。それがこの旅の出発点でした。
ハワイ旅行の大義名分
当初、母は「迷惑をかけるから」と弱気でした。そこで僕は、母の背中を押すべく「旅をする3つの大義名分」を用意しました。
母の初海外はハワイだった→「人生最後の海外旅行はハワイで幕引きしよう」
小学6年生の姪っ子→「親子3代の海外旅行は今しかできない」、
姪の出生後まもなく癌で他界した弟→「弟も姪っ子と母親が一緒にハワイに行ってほしいと天国で望んでいるはず」、
こうして、不安で揺れ動く母親に、時にはハワイの映像もみせながら、こうした理由を並べて、だんだんと行く気になってくれました。
想定外の問題勃発
ところが、出発1週間前、滞在予定のマウイ島で大規模な山火事が発生しました。
計画は振り出しに戻りましたが、僕は即座にホノルル滞在への切り替えを決断しました。そして、母が安心・安全に過ごせる「最高の舞台」を、以下の条件を妥協せずに計画を組みました。
・ホテルのロケーション;ワイキキビーチに至近の距離にあること
・ホテルのバルコニーから海、夕焼、夜景が綺麗に見えること
・ホノルルの花火(ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ)がバルコニーから見れること
・3BRで部屋にキッチンがあること(日本食を持ち込んで料理できる)
・レンタカーをスムースに動かせるバレットパーキング
・到着日(朝着)にアーリーチェックインができる
ホノルル旅行
直前の変更により旅費は300万円を超えました。でもこれは、贅沢というより、母親にとって「人生最後の海外旅行」という特別の舞台への投資です。
母が安心して景色を眺められる「最高の舞台」を用意したかったからです。
母がホテルのバルコニーに立ったまま、目の前に広がるワイキキの海、燃えるようなサンセット、そして夜空を彩る花火。その光景をずっと飽きずに見続けていた母を、僕は後ろからみているだけで、本当に良かったと思えたのです。

らくらくホンのなかの、小さな「幸せの証」
帰国後、母が嬉しそうに見せてくれた「らくらくホン」の画面。そこには、バルコニーに迷い込んできた一羽の小鳥が写っていました。
到着した日、不慣れな手つきで一生懸命にシャッターを切ったあの一枚です。
豪華な夕日でも花火でもなく「小鳥」を選ぶ。バルコニーに遊びに来た小さな命を想いでにするその無垢な視点が、いかにも母らしい選択です。

僕の旅
こうして、僕の早期リタイア後の大きな「恩返し」という宿題を終えたからこそ、いま、迷いなく自分の旅に向き合えています。
ただ、母の認知症が進行する今、なるべく頻繁に母に会うように、旅程は短めの設定ででかけています。
母の日常も続くなか、頻繁に顔をみせに行く時間と、自分の旅を謳歌する。僕なりの「自由と責任」のバランスを取りながら、恵まれていると感じるのも、母に親孝行のハワイ旅行ができたためでもあります。

結果的には、僕が大半を当時、そして少しばかり残していた父の遺産からも、この旅行の費用も出しました。父は自分のためだけにお金を使い性分だったので、僕がこうして母の親孝行で使うことを、天国で怒っているかもしれませんが、お金は、その世界に持っていけませんからね。このあたりはFIREをテーマとしていた僕のブログで綴っています。旅関係ではないので、これ以上、ここには描写は控えます。
WATARU